オフィスからの避難先と化したいつものカフェ。
ぼくは意味もなく、午前中からこの席をずっとあたためている。営業先のアテがみつからない。
言い知れぬ不安を払い除けるいちばんの方策は、「とにかくがむしゃらに手足を動かすこと」なのだろうが、自らを鼓舞する思いとは裏腹に、重たい腰を一向にあげられないでいる。
そもそも、「猫のひたい」ほどのイニシャルマーケット(独自の営業先)しか持っていないぼくが、なぜこの仕事を選んだのか。そして、なぜドナルド生命への入社を決めたのか。
結局、堂々めぐりの思考は、いつもそこに帰結する。
今はどうだか知らないけれど、当時ほとんどの外資系生保やひらがな生保(おもに損保会社のグループに属する生保会社)は、入社条件のひとつとして「サクセスリスト」の提示を求めた。
サクセスリスト(会社によって呼称は異なる)とは、入社直後に面談可能な営業先リストのことだ。
ぼくの記憶では、氏名と連絡先、面談見込みの期待度などを記す簡単なもので、どの会社からも200人程度のリストを要求された覚えがある。
ちなみに、面接担当者はリストをその場で確認したのち、入社希望者に返す。入社直後に会社からの営業先の提供などはほぼないため、すぐに稼働できるかどうかをそのリストで確認するねらいがある。
同期入社の仲間たちの前職を尋ねてみると、ほとんどが地元福岡を拠点とするバリバリの営業職だった。最も多かったのが、他社生保からの移籍組。次いで、証券会社や製薬会社、カーディーラーの営業出身者などで、まず行き先には事欠かない様子だった。実にうらやましいかぎりだ。
しかし、ぼくはちがう。
前職では関東関西を中心に転々とし、ましてや退職時点では営業職でもなかった。福岡は故郷でありながら、その間、ほとんど身内以外との接点を持てていない。周囲がぼくの転職計画をあからさまに反対したのは、もっともなことだ。それでも、どうしても失業中に取得したFP資格を活用できるその仕事に、ぼくはこだわりたかった。
保険会社の入社面接は、ドナルド生命にたどり着くまで、ことごとく不合格に終わった。
営業の向き不向きやストレス耐性を測定する適性テストなどの結果もあったのだろうが、面接担当者(通常は拠点の営業責任者)にサクセスリストの提示を迫られた段階で、ぼくは今のイニシャルマーケットの現状を正直に伝えた。「200人もリストアップすることはできません。ほんの十数人程度です」と。
大抵の面接担当者は、あからさまに困った表情と、返答に窮するような笑みを一緒に浮かべた。
ただ、敢えてそうしている部分もあった。
その反応で、入社後の上席になるかもしれない目の前の人物との相性も確かめたかったのだ。つまり、ぼくのなかでの職場探しは、不慣れな仕事において道案内をしてくれるメンター探し、という側面もあったのだ。
しかしながら、不採用通知が重なるごとに、ぼくの考えは少しずつ揺らぎはじめた。
とにかく採用されないことにはなにも始まらない。
メンター探しなど、悠長なことは言っていられないのではないか。ウソでもなんでもサクセスリストを200人の名前で埋めて、自信満々の笑みを浮かべつつ面接担当者に提示すべきではないのか。あとのことは入社後に考えればいい、と。
いま振り返ってみると、既にこのとき、ぼくは混沌の入り口に足を踏み入れていたわけだ。
実際、リストを埋めるだけならカンタンだった。
前職で親しかった仲間の電話番号はケータイのなかにあるし、いまだに会社の緊急連絡先リストも手元にある(個人情報の管理なんて、なんともユルい時代だった)。
ただ、リストに載せたところで、彼らが最初の営業先になるかというと、これはとても考えにくかった。彼らのほとんどは東京で働いている。東京まで営業に出掛けるには経費も掛かる。もちろん、どんなに経費を掛けても、かならず契約を得られるかどうかの保証はない。ひとつの契約成立に掛ける面談回数も、普通は一回では済まないだろう。オンライン面談だのペーパレス契約などは、存在しない時代の話なのだ。
そんなとき、就職支援会社から、ある外資系生保の入社説明会案内が飛び込んできた。
その会社こそ、当時の日本では外資生保系の後発組であったドナルド生命だった。販路拡大・新規事業構築のため、福岡にあらたな営業拠点を構築するのだという。支援会社の担当者からは、「前職で新規事業立ち上げに従事されていたあなたに、ピッタリなのでは」とも言われた。
新規事業構築ならば、従来の個人マーケットには頼らないやり方も期待できるかも。まったく耳にしたこともない会社ではあったけど、ぼくは説明会に参加してみることにした。
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