はじめに

「あなたには、生命保険の営業はむずかしいと思いますよ」

就職支援会社のおじいちゃんコーディネーターは、眉間に皺を寄せつつ、苦笑いをやんわりと浮かべながら言い放った。前職を希望退職してからもう半年、いまだに再就職がきびしいダメなクライアントに、愛想を尽かしているのだろう。

 

生保営業職としての転身を決心してから半月が経過したが、周囲にその気持ちを伝えて、好意的な反応を示してくれた人間は、まずいなかった。身内や友人からはじまり、受講中のファイナンシャルプランナー養成学校の先生、知り合いに紹介された保険代理店の店主など。相談するやいなや、まるで口を揃えたかのように再考を促してくる。唯一、ふだんからあまり自分の意見を押し付けない妻だけが、「やりたいならやってみれば」と言ってくれたくらい(口調は想像におまかせする)。

 

コーディネーターは、さらにマウントを仕掛けてくる。

「私ね、この仕事に就く前は、長いあいだ国内生保の所長をやってきたんですよ。だからこの仕事に就く人の向き不向きはよくわかっています。想像以上にきびしいですよ。それに、あなたは、当初から金融機関だけは希望されていませんでしたね。なのに、なぜいまさら」

 

確かに金融機関だけは、当初の職探しから希望していなかった。

子どものころから、いちばんやりたくない仕事の代表格が「お金を扱う仕事」だったし。

なぜそんなにイヤなのか、と問われても、明確な回答が出来そうにないので困ってしまうが、おそらく、そこにはふたつの理由が存在する(もちろん、いまはふたつとも克服出来ています)。

 

ひとつには、むかしから数字が苦手だった。

恥ずかしながら、算数や数学で及第点を取った記憶がまったくない。

いわゆる理系と呼ばれる人種や、数字に強いとされる人たちは、論理的な思考回路を持ち、暗記も得意というイメージがあるが、そのどちらも不得手だった。

いや、論理的に考えたいという気質は、もしかしたら持っていたかもしれない。

ただ、そのクセが強すぎて、方程式などを丸暗記するというやり方に馴染めなかった。

なぜそのような方程式に落ち着くのか。その過程と結果が腑に落ちないかぎりは、先へと進めない子どもだったのだ。つまり、義務教育の最初から要領が悪かったのである。

 

もうひとつは、「お金は汚いもの」だという意識が、子どものころから、どういうわけか強かった。

ぼくが育ってきた環境のどこに、そのような考え方を養う素地があったのか、よくわからない。

しかしながら、祖父母も両親も、戦後の苦しい時代を生き抜いてきたせいか、堅実な生き方を好んだ。お金に対して、極めて保守的で倹約主義であったことは間違いない。

他人様の前だろうが家庭の中だろうが、お金の話題に触れることに対して、どこか「卑しいこと」または「不道徳なこと」とする空気があった。まあ、一般的な昔の日本人の「おかね観」といっても差し支えないかもしれないが、その影響をモロに受けて、過剰にお金嫌い(もらうのは好き)に育ってしまったぼくは、バカ純真すぎる子どもだったということかもしれない。

 

話を元に戻そう。

とにかく、「生保営業はアンタにはムリ」というあまたの善意の忠告を浴びせかけられながらも、そのときのぼくは怯まなかった(あるいは、他人の話を聞かなかった)。

結局のところ生保営業の道に分け入り、以来ジェットコースターのような起伏に富んだ日々を送りながら、あっという間に目まぐるしく16年が経過した。

前職のサラリーマン時代と比較して、特に稼ぎがよくなったわけではない。お客さまや身内に支えられて、なんとか家族四人の生活を維持できている程度だ。華麗な活躍もなければ、輝かしいタイトル保持者でもない。この歳月のあゆみについて、他人様のお耳に入れてお役に立てるような情報はなにひとつないけれど、それでも今回、保険営業職としての活動記録(よもやま話)をしたためてみようと思ったのには、自分なりのささやかなワケがある。

 

完全歩合給の生保営業職に転身してから、数えきれないくらい「辞めたい」と思った。そして、そのたびに思いなおした。その光景は、まさに日常茶飯事といってもよかった。道中でいろんなものを拾っては背負いながら、また、いろんな思いに翻弄された。

なにがこの仕事を続ける源泉となっていたのだろう。

そしてこれから先、ぼくはどこへ向かうのだろう。

とりとめのないエピソードの記録をかさねていくうちに、すこしでもその謎解きができれば、と考えて、このつたない指先でキーボードを叩いている。そして、これから読者諸氏とともにその謎解きを楽しむことが出来たら、ぼくにとっては望外のよろこびである。

 

 

※個人情報の保護について

文中にてお客さまに関する表記を行う場合は、特定の人物と捉えられる表現だったり、極めて個別的かつセンシティブな表現とならないよう、十分に配慮して執筆してまいります。

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コメント: 2
  • #1

    大西良恵 (日曜日, 25 1月 2026 10:36)

    おはようございます。
    今年もよろしくお願いいたします。
    よもやま話、面白かったです。
    続きが気になりました。

    毎回、この配信にほっこりしております。

  • #2

    追立直彦(管理人) (日曜日, 25 1月 2026 12:11)

    早速のご感想ありがとうございます!
    うれしいです!これからの連載に力がはいります笑。
    本年も、引き続きよろしくお願いいたします。