流れにまかせて今を生きる。起き上り小法師にあこがれた禅僧の境地。

いつの頃からか、私の机の片隅には、起き上り小法師が鎮座しています。以前は職場のデスクに置いていましたが、今は自宅の書斎が彼の定位置です。どこにでも連れていける大切な仲間であり、気楽な相談相手でもあります。

 

起き上り小法師は、会津地方に古くから伝わる郷土玩具ですが、縁起物でもあります。ご当地では正月十日の縁起市に、家族の数にひとつ加えた分の小法師を購入して、神棚に飾るのだそうです。

 

指で突いても必ず起きあがる小法師は、会津のひとたちの気質にも数えられる、「辛抱強さ」を表現したものでもあるのでしょう。

私は困りごとがあると、決まって彼に遊んでもらいます。突いても突いてもシャンと立ち上がる彼を見ながら、「なんとかなる、なんとかする」と唱えていると、次第に気持ちが前向きになります。

 

どんなに小突かれても、意に介さず起ちあがる玩具の姿を、あこがれの念を抱きながらみつめていたお坊さんがいました。歌人や書家としても名を遺した江戸時代後期の禅僧、良寛和尚です。子どもと手毬をついたりして遊ぶのが好きだった良寛さん。そんなイメージで御存知の方も多いでしょう。

 

一生涯、禅の教えである「無心無欲」を実践する一方で、社会における人間のふるまい方や心の在り方を説いた老荘思想にも、深く共鳴していたという良寛さん。地震で被災した友人への、お見舞いの手紙に綴られた歌には、その考え方が深く息づいています。

 

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候/死ぬ時節には死ぬがよく候/是はこれ災難をのがるる妙法にて候(災難で受けた苦悩から逃れるには、その事実を受け入れる以外に方法はない)

 

自然の流れに身をまかせ、四苦八苦から生じる感情に囚われることなく、今を生きよう。こうした良寛の滋味深いメッセージは、多くの民に共感を与えたと云われています。

 

そんな良寛さんでも、悩みが尽きることはなかったようで。玩具を眺め、このような歌を詠んでいます。

 

人の投ぐるに任せ、人の笑うに任す/更に一物の心地に当たる無し/語を寄す、人生若し君に似ば/能く世間に游ぶに何事か有らん(人に投げられても笑われても、全く気にしない君。もし君のように生きられたら、なんと世間の気楽なことか)

 

今年も、さまざまな変化が私たちに訪れるでしょう。起き上り小法師に習い、何食わぬ顔で、前を向いてやり過ごしたいものですね。