圧倒的な好奇心と熱量。短歌に込めたプロフェッショナルの神髄。

歌人の俵万智さんが昨年上梓したエッセイ『生きる言葉(新潮社刊)を読みました。

日本語ラップと短歌の関係性といった話題から、「クソリプ」や「マルハラ」など、インターネット事情に端を発するコミュニケーション問題まで、昨今の日本語にまつわるさまざまな視点や考察が幅広く取り上げられていて、とても興味深い内容でした。

 

読み進めるなかでとりわけ気持ちが動いたのは、俵さんがNHKの人気番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演された際に詠まれた、歌についてのくだりです。番組の最後を総括する「(あなたにとって)プロフェッショナルとは」という問いかけに対して、歌人らしく短歌で表現されていました。

 

むっちゃ夢中とことん得意どこまでも努力できればプロフェッショナル 

 

以下、ご本人によるこの歌の解説を、本書からそのまま引用します。

プロフェッショナルということを自分なりに考えると、三つのキーワードが浮かぶ。

一つは夢中であること。なぜこんなに好きなのか理由なんてわからないほど夢中であること。

二つ目は得意であること。誰にも向き不向きというのはあって、どんなに夢中でも努力が足し算にしかならないジャンルというのがある。プロになれるのは、努力が掛け算になる人ではないだろうか。

そして三つ目は、慢心せずにその努力をずっと続けられるということ

 

最近、「プロフェッショナルとはなにか」ということを自問させられるような出来事があって、この文章が目に飛び込んできたときには、ちょっと偶然とは思えないほどにドキリとさせられました。

 

「プロフェッショナル」の語源はラテン語にあるとされており、その本来の意味は「自分の職業・使命・価値観を社会に対して引き受ける宣言をする(人)」なのだそうです。

その言葉を「自身の働き方に当てはめて定義せよ」と問われたとき、ほとんどの人は、概ね三つの側面からこの言葉を解釈するのではないでしょうか。

ひとつ目は「専門性」。スキルや知識といった側面からの定義づけ。

ふたつ目は「再現性」。世間の期待に応える安定的なサービスの提供を、どう維持するか。

そして三つ目は「責任感」。お客さまや取引先にサービスを提供する際の、責任や結果についての態度。

 

俵さんは、プロの歌人または作家として、「専門性」と「再現性」を最も重視しておられるのでしょう。プロフェッショナルであり続けるためには、圧倒的な好奇心と熱量が必要であり、また、安定的に作品を書き続けるためのたゆまぬ努力をすべきなのだと。歌から沁みだしてくる、とてもおおらかな風情にも、なんともいえない味わい深さを感じました。

 

俵さんが歌と言葉に対して抱いておられる、圧倒的な好奇心や熱量。

最近の私はどうだろう、自らを振り返らずにはいられませんでした。

お客さまからの切実なご相談やご要望、それを実現するための幅広い金融知識の習得。

 

今までイイ加減な仕事をしてきたつもりはありませんが、最近は、以前と比べると充分な熱を注げていない気もします。夢中になれる感覚が実感できているのであれば、なんとなく物足りなさを覚える気持ちにはならないでしょう。まだまだ発奮の余地があるのではないかと感じたのです。

 

ここ数年間の実務のなかで、気づかぬうちに置き去りにしてきたものが、この歌にはある。それらを取り戻せるかどうか。自分の仕事に対する考え方、そして環境の整理が必要な時期なのかもしれません。

 

さて、「専門性」「再現性」のプロ的な側面については俵さんの短歌にあやかるとして、あとひとつの側面である「責任感」について、私なりにド直球で素人まるだしの短歌を詠んでみました。まったく拙いかぎりですが、どうかご笑覧くださいませ。

 

汝がみちを吾がこととして添ひてこそにがきことばもあえてつげなむ