ここ数年、ずっと世界中の政財界を揺るがし続けている事件に、「エプスタイン事件」があります。
アメリカの大富豪ジェフリー・エプスタインが、政財界の著名人たちに対して行った一連の児童買春あっせん疑惑のことです。エプスタイン本人は、2019年に獄中で謎の死を遂げましたが、あっせんを受けたとされる著名人たちの嫌疑はさらに拡がるばかりで、事件の真相に潜む巨大な闇を伺わせます。
この疑惑のために、すべての社会的地位を失った人物の代表格として、英国王室のアンドルー元第2王子がいます。疑惑が発覚する前の元王子は、エリザベス女王からの信任が篤く、フォークランド紛争の英雄という軍の経歴もあって国民人気も高かったのですが、疑惑を火消しする目的で受けたテレビ取材のインタビュー内容が引き鉄となって、国民からの信頼を瞬く間に失うこととなってしまいました。その後、元王子はすべての称号・栄誉・公職を返上したうえで王室から追放され、エプスタインに公職上の秘密情報を漏洩したとして、逮捕も経験しています。今現在は、ひっそりと隠遁生活を送っているようです。
BBC(英国放送協会)が2019年に行ったこのインタビューの出来事については、『英国スキャンダル 王室を揺るがしたインタビュー』というタイトルでドラマ化されていて、私も今年の年始にNHKで視聴しました。
興味深かったのは、元王子と彼のスタッフは、事前の対策(被害者とされる告発女性と深く接した記憶がない、という想定問答)をしっかりと検討していて、彼自身もインタビューのやり取りにとても満足していたにも関わらず、そのインタビューが放送されるやいなや、世間から強烈なバッシングを受けてしまったということです。この、彼と世間との問題意識の隔たりには、一体何があったのでしょうか。
元王子側が用意していたシナリオは、「法的に不利となる発言を回避しつつ、自身の無実を主張する」というものでした。しかしながら、その主張の根拠となるものは、「記憶のあいまいさ」や、告発女性の証言を覆すために用意したような「自身の(奇妙な)体質」に言及するものが多く、一貫してあいまいな印象がぬぐえない内容でした。
このインタビューにおける彼の回答に対して、英国民はどう反応したのか。
彼らは元王子に同情するどころかひどく失望し、彼への不信感と怒りをあらわにしました。国民やメディアからは、「(疑惑の重大さに対して) 信じがたいほど無自覚」「被害者への共感が欠如している」などの批判が相次ぎ、ひたすら保身に固執する彼の態度を、「(国民に率先して示すべき慈悲心など)英国王室の品位を汚すもの」として、激しく糾弾したのです。つまり、国民が彼に求めていた関心は、彼に対する裁きの行方というよりも、王室の一員として彼が示すべき高潔さであり、倫理観でした。
私はこのドラマを観たあとで、小説家の城山三郎さんが、晩年のエッセイに綴っていた言葉を思い出しました。城山さんは、立場がある人ほど、初心を忘れずに学び続けなければならない。発信能力も然ることながら、それにも増して受信能力(他者を慮り、世間の声を聞く力)を高めていかなければならない、というようなことを述べておられました。
多くの人は、立場が出来たり年齢を重ねたりすると、ある瞬間から目の前の景色が一変し、それまで見えていたものや聞こえていた声を見失いがちになります(恥ずかしながら、私自身にも覚えがあります)。当然、年輪を重ねるほど周囲には叱ってくれたり教えてくれたりする他者が少なくなる訳で、そこに成功体験が積み重なると、人によっては自我だけが肥大化し、世間との距離や意識のズレが少しずつ生まれてしまう。いわゆる「はだかの王様」の状態に陥りやすいのです。
だからこそ、責任ある立場にいる人ほど、雑多な世間の声が聞こえる場所にあえて身を置き、積極的に耳を澄ませる必要がある。それこそが、城山さんが伝えようとしたメッセージでした。
私は、アンドルー元王子の人柄や疑惑の真実などは知る余地もありませんが、少なくとも彼は、国民から敬愛されるべき王室の一員として、日ごろからもっと国民感情に耳を傾け、寄り添う努力をするべきだったのではなかったか、と思うのです。

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